こんにちは、盆栽なんごくの松浦です。
いかがお過ごしでしょうか。(^▽^)/
今日も素晴らしい一日であります。
いまさらですが、5月初めのGW期間中に訪れた場所をご紹介。
宮崎市清武にある船引神社。
寛治元年、1087年(!)建立とのこと。ものすごい歴史ある神社です。
御祭神は、
足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)
譽田別尊(ほんだわけのみこと)
息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)
譽田別尊(ほんだわけのみこと)
息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)
過去に2回ほど来たことがあります。
「清武の大クス」と呼ばれ、国指定天然記念物となっています。
直接触れることはできませんが、近くまで立ち寄ることができます。迫力はすさまじいものがあります。
以下、「宮崎文化財情報」より抜粋。
“船引神社の境内にあるこのクスノキは、推定樹齢約900年、高さ約25m、幹周り13.2mあり、幹周りの大きさでは、県内の樹木の中では2番目、クスノキの中では最も大きな木である。八幡楠ともよばれ、船引神社のご神木として親しまれている。幹には空洞があり、大人5,6人が入れるほどの広さである。”
推定樹齢900年。
900年前ということは1100年代。鴨長明が書いた方丈記が1212年と言われていますから、それよりも前から存在しているのかもしれません。
そのころの宮崎人はいったいどんな生活をしていたのでしょうか。
何食ってたのかな。
当時の食事ってどんな感じなんでしょうね。米と魚…? コイ、フナ、ドジョウ…?
どうやって火を焚いていたのかな。風呂は? 起床時間は? 仕事は? 一日のスケジュールはどんな感じ? メールがないから伝書鳩? 狼煙?
しかも当時の家はすきま風が入ってきてたでしょうから、冬はたまらんほど寒かったはずです。そして夏は冷房がないから、ぐだーっとしていたはずです(たぶん)。
知る由もないですが。
「狼煙」で思い出しましたが、江戸時代のころ、大阪の米相場の上げ下げを知らせるために旗振り信号を使っていたそうです。知らせる先は畿内の地域やの江戸方面。米相場に変動があれば旗振り信号のリレーで各方面へ向けて情報が発信される。
当時の記録によれば、大阪から江戸までの情報伝達時間は数時間、近畿地方なら数分から数十分だったそうです。これってすごくないですか。(こう思うのは私だけか?笑)
相場が絡むとみんな必死です…(;^_^A
そういえば、方丈記のことを書きましたが、読んだ方はいらっしゃいますかね?
あの時代に生きた人たちも、現代の我々と同じようなことで悩んでいたようですね。方丈記を最初に読んだ時、ラストの終わり方が少しばかり衝撃的でした。何だこりゃ⁉という終わり方ですよね。
時代が変わっても、人間はそんな感じで生きているようです。
以前来た時にはなかった建物。
どうやら神楽専用の建物のようです。
建築の知識はありませんが、手の込んだ作りに見えます。
私がこうして建物の写真を撮っている時に、一組のカップルが神社に入ってきました。
手持ちのカメラを持ってなにやら敷地奥の大クスを撮影していたみたいです。これが噂のユーチューバーか…と思った次第。自撮り棒とか手持ちのカメラとか持っている人がいるんですね。(私もカメラ小僧ですが…)色んなものを発信できるようになったのは素晴らしいことだと思います。
ただ、発信するからには「良い情報」と「良い影響」を送り出しましょうね(^▽^)/
(私もそう心がけます…!)
ちなみにこちらの船引神社はこじんまりとした神社です。
「大クス」があるからといって大神社だと思われるとイケナイのでとりあえずと伝えしておきます(笑)
清武町船引地区の静かな場所ですよ。
八百万(やおよろず)の神々にいろいろなお願い事をして帰路につきました。
今日もお天道様に感謝です。
では、また。(^^)/~~~
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