こんにちは、盆栽なんごくの松浦です。
いかがお過ごしでしょうか。(^▽^)/ 
今日も素晴らしい一日であります。 
盆休みの旅パート2です。
もう1ヶ月も前の話ですが…。
写真もまだありますので少々お付き合い願いますm(__)m
前回は男狭穂塚、女狭穂塚まで行ったのでその続きを。
男狭穂塚の道の反対側はこんな風景が広がっています。
のどかな風景の中に古墳が散在しています。
写真中央にこんもりと見える古墳。
これも有名なヤツですよ。
歩いて行ける距離です。
西都市観光協会によると…
206号墳、直径37m、高さ7m、土塁2~2.6mの円墳。横穴式石室を持ち、土塁を構築したものは全国的に例を見ない特異な形状。
コノハナサクヤヒメを嫁に欲しいという鬼がオオヤマツミノカミの要求により一夜で完成させたとの逸話が残っています。
なんかね…
ほんの少しのためらいの後、一歩ずつ進むのであります。
せっかくここまで来たのであれば、写真の一枚でも取って行かねば。
ここで怯めば末代までの恥であります。
なんというか、ひんやりしてきた。
石室というだけあって、外気よりかなり温度が低い。
ちなみに背の高い人は天井が低いのでご注意下さい。
内部がこちら。奥行4.8m、幅2.2m、高さ2.1m。
涼しい。
ここ、お墓なんだよな…(ドキドキ)。
写真を撮りつつ、たまに後ろを振り返ったりします。
(もちろん誰もいないけど…。だっていたら困るじゃん!)
ササっと証拠写真を撮り、少し早歩きで外へ出て外気を吸うのでありました。
しかし、古墳300基はすごい量です。
妻萬神社公式ホームページより抜粋。
“御創建の年代は定かではないが、当神社が初めて史書にみえるのは、「続日本後紀」で、仁明天皇承和4年(837)8月の条に「日向国子湯郡妻神宮社に預かる」とあり、また「三代実録」の天安2年(858)の条にも神階昇格の記載がある。更に延喜式神名帳には日向国4座の内、児湯郡2座として都農神社とともに都萬神社が記載されており、式内社といわれる所以である。当神社はこれらの文献にみえるより更に古く奈良時代には存在していたと思われる。”
「日本酒発祥の地」としても知られているようです。
子どもに甘酒飲ませて大丈夫かいな?と思いましたが、甘酒は飲む点滴とも言われているので、まあ良しとしましょう(知らんけど…)。
そしてもう一つ。
人生100年時代をはるかに超えていきます。
クスノキとしては有数の大木だったそうですが、火災や自然災害により現在では主幹のみが残っている状態です。
それでもまだこれから生きていくんでしょうね。
ということで、西都の旅はこのへんで終了です。
古墳が好きな方は行ってみてね👍
今日もお天道様に感謝です。 
では、また。(^^)/~~~
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