2025年9月7日日曜日

盆休みの旅~西都へGO!

~日々の楽しみ、心のゆとり~ 

こんにちは、盆栽なんごくの松浦です。

いかがお過ごしでしょうか。(^▽^)/ 

今日も素晴らしい一日であります。




盆栽以外のお話。


8月のこと。
盆休みに西都市へお邪魔しました。





西の都と書きます。

都だったのは昔むかしの話。

人口2万6千ほど、今は落ち着いた街です。


“記紀によると、天照大神の孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)は日向の高千穂峰に降臨した。その後、居を構えたのが現在の西都市であったとされる。西都市は日本最大の古墳集積地帯である。”


フムフム…。


その他、農業も盛んです。

ピーマンの生産日本一。あちらこちらにピーマン御殿が建っています。








まあ、特になんとはなしに温泉に行くのが当初の目的でありました。
「妻湯」。

妻(つま)という地名はコノハナサクヤヒメに由来するといいます。

どうやら最近できた施設らしく、建物は新しくて駐車場も広い。

日帰り温泉大人900円也。

大浴場、露天風呂、サウナ、水風呂あり。

良いではないか。そとの露天風呂も大きくて心地よろしい。







温泉が終われば帰ろうと思っていたのですが、せっかく西都に来たのだから考古学の世界を見てみようと思い立ち、ある場所へと向かいました。


その場所とは、泣く子も黙る「西都原古墳群(さいとばるこふんぐん)」。
大きな観光館内所(おみやげ販売所)もあります。

中にはレストランもありますので、軽く食事も出来ます。この日は贅沢にも西都牛そばを頂きました。そば一杯に1000円以上かけたのは人生で初めての出来事ではないかと思います。

その他、アイスクリームだのスイーツだの私には無縁ではありますが、おいしそうなモノがたくさんあります。ぜひお立ち寄りくださいませ。






そう、ここ西都市は古墳だらけの街。古代日本の歴史ロマンが埋蔵されている場所なのです。

宮崎では「原」という漢字を「はる」と読むことが多いです。

西都原(さいとばる)もそうですし、その近くにある航空自衛隊の基地がある新田原。なんて読むと思います?航空マニアとか自衛隊に詳しい人なら知っていると思います。「にゅうたばる」と読みます。

以前、宮崎県知事にもいましたよね。東国原(ひがしこくばる)。





考古学な好きな人は考古学博物館へどうぞ。
ここはなかなかスゴイ施設ですよ。発掘された貴重なモノがたくさん展示されています。

縄文土器と弥生土器もありますから、違いを見るにはいい機会でした。縄文土器と弥生土器は全然作りが違うんですね。

かの岡本太郎は縄文土器を見て驚愕したと言います。

弥生土器は簡単にいうと現代の壺や茶碗とたいして変わりません。垢ぬけて洗練されている感じがします。対して縄文土器はまるで子供の粘土遊びのごとく多様性にあふれています。島国独自のものと大陸の影響を受けたものでは随分と作りも見た目も違ってくるものです。








そして、古墳を見に行きましょう。





“西都原古墳群は、3世紀末から7世紀にかけて築造され、その数は、陵墓参考地の男狭穂塚・女狭穂塚を加えた319基である(内訳は、前方後円墳31基、方墳2基、円墳286基)。”




古墳300基て...。どんだけ作りまくったんだ。

3世紀末から7世紀にまでに300基ですから平均して100年に80基ずつくらい作ったことになります。(これはもはや公共事業だと思う)






行ってみたかったのが男狭穂塚(おさほづか)と女狭穂塚(めさほづか)。
一説によると男狭穂塚は瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)、女狭穂塚は木花開耶姫(このはなさくやひめ)が被葬者と言われていますが、定かではありません。



そして残念ながら立ち入ることはできません。宮内庁の陵墓参考地として指定されています。


観光案内所のおばちゃんに聞いてみたら「入れませんよ~、宮内庁の職員と皇族しか入れないんです~」とのこと。

(おばちゃんと言ってしまったが、私もおっさんの年齢である。失礼しました。今度お邪魔するときはもう少し歴史のお話をお聞かせくださいm(__)m)





宮内庁管理の陵墓参考地ということは、埋葬者が皇族に直結している可能性があるということです。

女狭穂塚。



写真奥に見える小高い堤防のようなものが前方後円墳の一辺です。この古墳はかなりデカいですよ。

噂によると明治から大正にかけて調査が行われ、その時の出土品がやばかったらしく、それ以降内部の調査をしていないとか…(ホントかどうか知りませんが(;^_^A)。

あまり詳しく調査すると日本の神話の信憑性というか、国の成り立ちが怪しくなる可能性もありますから、そっとしているのかもしれません。


伝説というのはストーリーとして語り継いでいればそれで結構。物語だからこそ現代までストーリーとして、そして神話として残ってきたわけです。

むやみに掘り起こさない方が良いことも世の中にはあるのでしょう…。

その近くの桜並木を抜けたところに、ひっそりと別の入り口があります。

もう一つの噂の場所。
男狭穂塚。

年に一度だけ、お祭りの時に通路の途中まで解放されるようです。

それも出入り自由ではなく、一ヶ月ほど前に申請して名前住所などを登録した人のみが立ち入りを許可されるとのこと。




そうですね。

どなたかは存じませんが、ご先祖様ですのでそっとしておきましょう。


機会があれば、またお邪魔します。





今日もお天道様に感謝です。

では、また。(^^)/~~~


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