いかがお過ごしでしょうか。 (^▽^)/
盆栽の本質に迫る哲学的記事です。
頭が痛くなるお題です。
そしてチャレンジングな記事です…。
盆栽という存在を抽象的な表現に置き換えると
こういった言葉が出てきます。
・表現
・一人遊び
・コミュニケーションツール
・文化
・伝承
・人生
・生き方
この中で「コミュニケーションツール」という部分に
焦点を絞ってお話していきます。
コミュニケーションツールは直訳すると
情報伝達の道具。
電話?
メール?
とういうものではなく、
「コミュニケーションを生み出す道具」だと
捉えてみます。
そうですよね。
盆栽というものを通じて色々な人と交流できるわけです。
管理方法を教わることもあれば、持ち込みの古い樹を
見せてもらうこともあるでしょう。
人と人とが会話する間には盆栽が存在している
という訳ですね。
小さな盆栽一つあれば、家庭内での会話も
増えるかもしれません。
盆栽を通して親子の会話が増えれば素晴らしい
ことですよね。
親子でなくても、知人から盆栽を頂いたりすると
どのように仕立てていくか心の中で会話する
ことになります。
こういう風に仕立てると、前任者の意図から
外れるかな…。
こんな育て方とするとあの人に怒られるかな(笑)
なんて思いながら心の中で会話しています。
会話の中心に盆栽があることを考えると、
盆栽はコミュニケーションを生み出すツールである
と捉えることもできるわけです。
今棚場にある盆裁はどこで購入しましたか?
そのお店の人を覚えてますよね。
持っている鉢ごとに違った歴史があるでしょう。
「この鉢はあの店で買った、あの一本は誰それから買った」
という風にそれぞれの物語があります。
そこで生まれたコミュニケーションがあるからこそ、
その物語を覚えているのではないかと思います。
奥深い世界とか、マニアックな世界だと思われがちですが、
・人との交流を作るもの
・人と人の間に会話を作るもの
と定義すれば違った見え方ができるのではないでしょうか。
あくまで私的意見です(;^_^A
そして、
わたくしの盆栽論はまだ続く…。
では、また。(^^)/~~~
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