2025年9月20日土曜日

二番芽の出そろった黒松くんの観察

~日々の楽しみ、心のゆとり~ 

こんにちは、盆栽なんごくの松浦です。

いかがお過ごしでしょうか。(^▽^)/ 

今日も素晴らしい一日であります。 



暑さ寒さも彼岸までといいます。


朝晩は少し気温も下がってきました。

朝の散歩が心地よい感じです。





さて、6月から7月にかけて芽切りした黒松くんたちの様子を見てみます。

古葉と新葉が入り混じって少し雑に見えますが、この時期は仕方ないですね。




作業のやり方はそれぞれあると思います。10月ごろに古葉を取るという方もいらっしゃれば、古葉取りは冬の仕事として行う方もおられるかと。

どちらが正解かは分かりませぬ…。

というのも、両方やったことがありますし、なにより黒松くんが元気で生きていればどちらのケースでもよろしいと思います。


すぐに結果が見たいので今すぐに取ってしまいたいのも分からなくもないですね。何度もやったことがあります。
葉が短くまとまった姿はカッコイイですからね。

当方は安全をみて、もう少し待ちます。11月以降くらいでしょうか。

中には去年から古葉を取っていないものもあります。全てにおいて芽切りをして古葉を取るのではなく、樹勢を見てから決めてもいいと思います。

観賞することはあきらめて、古葉を取らずに残しているものは翌年の樹勢がかなり良くなる気がします。枝葉の総量と樹勢は比例するので、理屈では元気が良くなるはずです(たぶん…(;^_^A)。





この写真は面白いですよ。

芽切りは新芽を元から切り取りますが、これは新梢の途中を切ったものです(中芽切り)。


通常は古葉の辺りから新芽が出ますが、樹勢が良ければ中芽切りした部分から吹いてきます。去年葉でなくても芽吹いてくるので長さを伸ばしつつ枝分かれを作りたい時に有効な方法であります。

ただ、樹勢が良いことが条件です。力が無ければ当年葉から吹くことはありませんのでご注意下さいませ。





今年の黒松たちは病害虫の影響も少なく、小さい物でも葉が上を向いて良好な様子。

(ちなみにこの子は芽切りしてません)

この鉢で良く生きているなぁと感心しきり。


今年は油粕ではなく、リンカリ肥料をメインにしているので調子が良いのはその影響かもしれません。





毎年何かを試して、何かを得て、それの繰り返しですね。






今日もお天道様に感謝です。 

では、また。(^^)/~~~


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2025年9月14日日曜日

盆休みの旅~西都へGOパート2

~日々の楽しみ、心のゆとり~ 

こんにちは、盆栽なんごくの松浦です。

いかがお過ごしでしょうか。(^▽^)/ 

今日も素晴らしい一日であります。 




盆休みの旅パート2です。


もう1ヶ月も前の話ですが…。
写真もまだありますので少々お付き合い願いますm(__)m



前回は男狭穂塚、女狭穂塚まで行ったのでその続きを。

男狭穂塚の道の反対側はこんな風景が広がっています。

のどかな風景の中に古墳が散在しています。



写真中央にこんもりと見える古墳。
これも有名なヤツですよ。

歩いて行ける距離です。


「鬼の窟(おにのいわや)古墳」
西都市観光協会によると…

206号墳、直径37m、高さ7m、土塁2~2.6mの円墳。横穴式石室を持ち、土塁を構築したものは全国的に例を見ない特異な形状。

コノハナサクヤヒメを嫁に欲しいという鬼がオオヤマツミノカミの要求により一夜で完成させたとの逸話が残っています。









なんかね…

周りに誰もいないんですよ。

見学者がワタシ一人なんですよ。


遠くから見たらキレイな迫力のある古墳なんですけど、要はお墓ですよね…。



ワタシ、人様のお墓に入ろうとしてますが、いいんですか?


ドキドキ...

ほんの少しのためらいの後、一歩ずつ進むのであります。

せっかくここまで来たのであれば、写真の一枚でも取って行かねば。

ここで怯めば末代までの恥であります。





なんというか、ひんやりしてきた。

石室というだけあって、外気よりかなり温度が低い。


ちなみに背の高い人は天井が低いのでご注意下さい。




内部がこちら。奥行4.8m、幅2.2m、高さ2.1m。
涼しい。


ここ、お墓なんだよな…(ドキドキ)。

写真を撮りつつ、たまに後ろを振り返ったりします。
(もちろん誰もいないけど…。だっていたら困るじゃん!)




ササっと証拠写真を撮り、少し早歩きで外へ出て外気を吸うのでありました。

しかし、古墳300基はすごい量です。


この辺りにあるこんもりとした山(丘)はほとんど古墳と思って間違いないようです。





小学校の時に遠足で訪れたことを思い出しました。懐かしい。












そして、


古墳群を後にして最後は妻萬(つま)神社です。



“御創建の年代は定かではないが、当神社が初めて史書にみえるのは、「続日本後紀」で、仁明天皇承和4年(837)8月の条に「日向国子湯郡妻神宮社に預かる」とあり、また「三代実録」の天安2年(858)の条にも神階昇格の記載がある。更に延喜式神名帳には日向国4座の内、児湯郡2座として都農神社とともに都萬神社が記載されており、式内社といわれる所以である。当神社はこれらの文献にみえるより更に古く奈良時代には存在していたと思われる。”







瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)とコノハナサクヤヒメの間に産まれた3人の皇子を育てるのに母乳では間に合わず、代わりに甘酒を与えたという伝説があります。

「日本酒発祥の地」としても知られているようです。

それは知らんかった。

子どもに甘酒飲ませて大丈夫かいな?と思いましたが、甘酒は飲む点滴とも言われているので、まあ良しとしましょう(知らんけど…)。





そしてもう一つ。

境内には国の天然記念物である「妻のクス」が立っています。
推定樹齢1200年なり。

人生100年時代をはるかに超えていきます。


クスノキとしては有数の大木だったそうですが、火災や自然災害により現在では主幹のみが残っている状態です。

それでもまだこれから生きていくんでしょうね。






ということで、西都の旅はこのへんで終了です。



古墳が好きな方は行ってみてね👍



今日もお天道様に感謝です。 

では、また。(^^)/~~~





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2025年9月7日日曜日

盆休みの旅~西都へGO!

~日々の楽しみ、心のゆとり~ 

こんにちは、盆栽なんごくの松浦です。

いかがお過ごしでしょうか。(^▽^)/ 

今日も素晴らしい一日であります。




盆栽以外のお話。


8月のこと。
盆休みに西都市へお邪魔しました。





西の都と書きます。

都だったのは昔むかしの話。

人口2万6千ほど、今は落ち着いた街です。


“記紀によると、天照大神の孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)は日向の高千穂峰に降臨した。その後、居を構えたのが現在の西都市であったとされる。西都市は日本最大の古墳集積地帯である。”


フムフム…。


その他、農業も盛んです。

ピーマンの生産日本一。あちらこちらにピーマン御殿が建っています。








まあ、特になんとはなしに温泉に行くのが当初の目的でありました。
「妻湯」。

妻(つま)という地名はコノハナサクヤヒメに由来するといいます。

どうやら最近できた施設らしく、建物は新しくて駐車場も広い。

日帰り温泉大人900円也。

大浴場、露天風呂、サウナ、水風呂あり。

良いではないか。そとの露天風呂も大きくて心地よろしい。







温泉が終われば帰ろうと思っていたのですが、せっかく西都に来たのだから考古学の世界を見てみようと思い立ち、ある場所へと向かいました。


その場所とは、泣く子も黙る「西都原古墳群(さいとばるこふんぐん)」。
大きな観光館内所(おみやげ販売所)もあります。

中にはレストランもありますので、軽く食事も出来ます。この日は贅沢にも西都牛そばを頂きました。そば一杯に1000円以上かけたのは人生で初めての出来事ではないかと思います。

その他、アイスクリームだのスイーツだの私には無縁ではありますが、おいしそうなモノがたくさんあります。ぜひお立ち寄りくださいませ。






そう、ここ西都市は古墳だらけの街。古代日本の歴史ロマンが埋蔵されている場所なのです。

宮崎では「原」という漢字を「はる」と読むことが多いです。

西都原(さいとばる)もそうですし、その近くにある航空自衛隊の基地がある新田原。なんて読むと思います?航空マニアとか自衛隊に詳しい人なら知っていると思います。「にゅうたばる」と読みます。

以前、宮崎県知事にもいましたよね。東国原(ひがしこくばる)。





考古学な好きな人は考古学博物館へどうぞ。
ここはなかなかスゴイ施設ですよ。発掘された貴重なモノがたくさん展示されています。

縄文土器と弥生土器もありますから、違いを見るにはいい機会でした。縄文土器と弥生土器は全然作りが違うんですね。

かの岡本太郎は縄文土器を見て驚愕したと言います。

弥生土器は簡単にいうと現代の壺や茶碗とたいして変わりません。垢ぬけて洗練されている感じがします。対して縄文土器はまるで子供の粘土遊びのごとく多様性にあふれています。島国独自のものと大陸の影響を受けたものでは随分と作りも見た目も違ってくるものです。








そして、古墳を見に行きましょう。





“西都原古墳群は、3世紀末から7世紀にかけて築造され、その数は、陵墓参考地の男狭穂塚・女狭穂塚を加えた319基である(内訳は、前方後円墳31基、方墳2基、円墳286基)。”




古墳300基て...。どんだけ作りまくったんだ。

3世紀末から7世紀にまでに300基ですから平均して100年に80基ずつくらい作ったことになります。(これはもはや公共事業だと思う)






行ってみたかったのが男狭穂塚(おさほづか)と女狭穂塚(めさほづか)。
一説によると男狭穂塚は瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)、女狭穂塚は木花開耶姫(このはなさくやひめ)が被葬者と言われていますが、定かではありません。



そして残念ながら立ち入ることはできません。宮内庁の陵墓参考地として指定されています。


観光案内所のおばちゃんに聞いてみたら「入れませんよ~、宮内庁の職員と皇族しか入れないんです~」とのこと。

(おばちゃんと言ってしまったが、私もおっさんの年齢である。失礼しました。今度お邪魔するときはもう少し歴史のお話をお聞かせくださいm(__)m)





宮内庁管理の陵墓参考地ということは、埋葬者が皇族に直結している可能性があるということです。

女狭穂塚。



写真奥に見える小高い堤防のようなものが前方後円墳の一辺です。この古墳はかなりデカいですよ。

噂によると明治から大正にかけて調査が行われ、その時の出土品がやばかったらしく、それ以降内部の調査をしていないとか…(ホントかどうか知りませんが(;^_^A)。

あまり詳しく調査すると日本の神話の信憑性というか、国の成り立ちが怪しくなる可能性もありますから、そっとしているのかもしれません。


伝説というのはストーリーとして語り継いでいればそれで結構。物語だからこそ現代までストーリーとして、そして神話として残ってきたわけです。

むやみに掘り起こさない方が良いことも世の中にはあるのでしょう…。

その近くの桜並木を抜けたところに、ひっそりと別の入り口があります。

もう一つの噂の場所。
男狭穂塚。

年に一度だけ、お祭りの時に通路の途中まで解放されるようです。

それも出入り自由ではなく、一ヶ月ほど前に申請して名前住所などを登録した人のみが立ち入りを許可されるとのこと。




そうですね。

どなたかは存じませんが、ご先祖様ですのでそっとしておきましょう。


機会があれば、またお邪魔します。





今日もお天道様に感謝です。

では、また。(^^)/~~~


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