2022年4月6日水曜日

黒松の曲付けー人工的に自然を表現する

こんにちは、盆栽なんごくの松浦です。


いかがお過ごしでしょうか。 😀




盆裁は自然の縮図


これは矛盾している


だって人の手が加わっているから。


そもそも、
自然を表現するなら放っておけば良いでしょ?




そうなのですが…、




盆栽には人の手が加わります

そして人工的に自然を「表現」しています




自然に任せて伸ばしっぱなしにすると
こうなります。
これは黒松の3年生。
9cmポットに植えつけられてボサボサ。


「自然で野放し」の状態です。

はたしてこれは自然を「表現」しているのか。





自然を表現するためには人工的に手を加えるという
矛盾した作業が必要になります


その代表的な作業の一つが「曲付け」です。

アルミ線で幹全体にねじりを入れて曲(きょく)を
つけたところです。

ただ捩じっただけなのですが、生き生きとした感じが
出てきましたね。

最初の樹と同じものですよ。

アルミ線は2.5mmを使用。





ボサボサの頭も枝決めをして針金を掛けて
方向性を付けてやります。
最初の写真から比べると正面が変わり、
植えつけ角度も変わり…。

とにかく色んなところに人の手が加えられて、
段々と姿を変えています。





さらに枝数を増やして枝先を揃えて行けば
盆栽らしくなってきます。
険しい山の斜面に生きるような姿になりましたね。
これは人工的な自然の「表現」なのです


縮図は「凝縮された姿」であって原寸にあらず。


小さな一鉢に凝縮しようとすると、
どうしても人工的な加工が必要になるという
矛盾が生じます。


その矛盾したものが盆栽という存在です




自然の成り行きにまかせたボサボサのものと、
その木に人工的に手を加えたもの。

どちらが「自然の厳しさ」を表現している
ように見えますか?


こうしてみると、盆栽は作品なのです。

「芸術」と呼ばれる理由がここにあります。


いかがですか?


こうしてみると盆栽の見方が変わってくるでしょ?^^




では、また。


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